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2014.06.13 
服部洋之
ファミリー劇場 ジェネラルマネージャー
服部 洋之 Hiroyuki Hattori

1965年生まれ、愛知県生まれ。1988年に中部日本放送(CBC)に入社。1998年より東北新社で番組制作を担当。現在はファミリー劇場のジェネラルマネージャー(編成企画事業部長代理)として番組の編成主幹を担当。

なぜ、いま『ウルトラクイズ』なのか。
『ウルトラクイズ』再放送を実現させた
影の立役者、東北新社の服部氏が語る
テレビ屋としての想いとは――。
 放送業界に就職した年に観た
 『第12回ウルトラクイズ』

服部 『QUIZ JAPAN』が刊行された時にビックリしたんですよ。うちのスタッフの1人が「『ウルトラクイズ』が表紙になってる本が出てるんだけど」って見つけてきて、「すぐに買ってきて!」と指示して翌日に入手しました。すぐ読んじゃいましたよ。

 

——ありがとうございます。

服部 びっくりして「えー、書いてあるじゃん。うちのチャンネルが」って(笑)。

 

——ええ。加藤就一さんは「あくまで可能性はあるよ」程度の濁し方だったんですけど、僕の推測として書かしていただいて。自分の中では、『木曜スペシャル』を再放送してるから、これはファミリー劇場さんで間違いないなと。

服部 それは素晴らしい読みですよ。

 

——2月に出版記念でトークショーをやったんですけど、その時も「ファミリー劇場さんが可能性が一番高いから頑張って応援しましょう」って言ったら、本当にファミリー劇場さんで実現したので、ちょっと預言者扱いされてます(笑)。

服部 いや預言者ですよ、本当に。

 

——ありがとうございます。本誌が加藤さんに取材をしたのが去年(13年)の10月なんですけど、その時期は多分、日本テレビと交渉されてるタイミングですよね。

服部 本当にそうですね。10月というと、我々の中でもこれから放送していきたい番組のリストに『ウルトラクイズ』が入ってて。「権利処理をするのに数ヶ月かかる」って話だったので、できたら買いますってところまでいってたんですよ。

 

——なるほど。

服部 「いろんな権利もクリアしました」「では第12回を購入します」っていう連絡書は、2013年12月に出してるんで。さらに遡ると、おそらく9月ぐらいにその話をしてるんですよ。だから雑誌が出てると聞いてビックリしたんです。「今『ウルトラクイズ』に風が吹いてるわけ!?」って。

 

——絶妙なタイミングでしたね。

服部 絶妙です。おそらく、『ウルトラクイズ』をオリジンにしてる作り手の人たちが各方面に散り散りにいて、同じタイミングでやりたいよねみたいな話をしたんですよね。

 

——本当に運命的なタイミングですね。

服部 運命的な。(創刊号の表紙を見ながら)13回も見てたなあ。

 

——そうですか。じゃあ、『ウルトラクイズ』は結構、ご覧になってたんですね。

服部 いや、結構も何も、僕は長戸さんと同世代なんですよ。

 

——お生まれは?

服部 昭和40年なんですよ。12回のチャンピオンの瀬間さんも50歳でしょ。僕ももうすぐ50なんですよ。つまり、瀬間さんや長戸さんとほぼ同じ年頃で『ウルトラ』を楽しんでた。中学生の頃から「なんで年に1回しかやんないんだよ」っていうことと「なんで翌週なんだよ」っていうのをずっと思ってて。26年前にこの業界に入ってるんですよ、僕。名古屋の地方局(中部日本放送・CBC)に入ったんですけど、実はその年なんですよ、1988年って。

 

——あ、そうなんですね。

服部 (社会人1年目が)第12回の放送の年なんですよ。で、89年の13回。忘れもしないですけど、昭和が終わった年で。というところでいくと、もう本当に同時代。学生の時に見て楽しんでたし、番組を作る側になっても見てたので。それは覚えてるでしょ。実はクイズといえば、最初に入った放送局で、ADが最初につく登竜門的な番組が『天才クイズ』(※1)※1 1967年から2004年まで放送された、東海地区ローカルのクイズ番組。男女30人ずつの小学生が、YesとNoの帽子をかぶって解答していく。っていう大長寿番組だったんです。